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海を渡った騎馬文化 馬具からみた古代東北アジア
考古学一般もし仮に、朝鮮半島に「騎馬民族征服王朝」が存在したのであれば、当然、日本列島の「騎馬民族説」の問題にも直接的な影響を与えるにもかかわらず、日本国内においてこの韓国の「騎馬民族説」を真正面から取り扱った研究は、皆無であったといってよい。そこには日本史、朝鮮史(韓国史)、あるいは日本考古学、朝鮮考古学(韓国考古学)というそれぞれの枠組みを越えて議論することに対する躊ちゅう躇ちょや遠慮があったのかもしれない。しかし、あとで詳しくみるように「騎馬文化が来た」という点では、朝鮮半島もまた日本列島と同じであ
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演技と宣伝のなかで 上海の大衆運動と消えゆく都市中間層
考古学一般本書が大衆運動とそれに伴う社会変容=階層再編を分析する際に最も重視するのは、「演技」という観点である。……そうした日常生活のなかの演技が、一九五〇年代以降の中国では、党・政府やそれらに忠実な機関の宣伝によって強く方向づけられ、さらに大衆運動によって厳しく統御され、高いリスクや緊張を伴うものになったといえよう。そして、党・政府が望むように演技をした人びとの言動が、メディアや集会において宣伝されて、さらにそれに倣ってより多くの人びとが演技をする、という繰り返しのなかで、人びとが大衆運動に動員されてい
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カザフの子育て 草原と都市のイスラーム文化復興を生きる
文化人類学地域社会に生きる人々の生活に根ざした視点から、中央アジアのムスリムたちの文化復興をとらえることを本書では目指す。政策レベルでの変化をふまえつつ、中央アジアの人々の生活世界にわけいることによって、ポスト・ソビエト時代の文化復興についての理解をより深めることができるといえよう。その生活世界とは、イスラーム受容や社会主義経験のあり方という歴史的経緯によって、幾重にも入り組んだ世界である。中央アジアに暮らす人々のなかでもカザフ人は、モスク中心でないイスラーム実践を繰り広げてきたことが知られている。カザフ
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境界の考古学 対馬を掘ればアジアが見える
考古学一般本書のタイトル「境界の考古学」には「考古学の境界」という意味をも含ませている。本来の意味は、もちろん地理的「境界」に関するものである。対馬は、日本列島と朝鮮半島の「境界」であり、また広くは、ユーラシア・アジアの大陸世界と環太平洋の海域世界との「境界」である。ほかにも目的によって大小いくつもの地理的「境界」を設定できようが、ただし、必ずしもそれらは文化的内容を意味するものでもない──たとえば日本文化、朝鮮文化など──ことは注意しておく必要がある。もう一つの意味は、「考古学」という学問の「境界」に関
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国民語が「つくられる」とき ラオスの言語ナショナリズムとタイ語
社会問題以上を踏まえた上で、本書では、ラーオ語がラオスの国民語としていかにして「つくられて」きたのか、タイ語との関係に注目しつつ明らかにしていきたい。これはまた、一つの「言語」を「つくる」ということが、いかに政治や社会・経済状況、ナショナリズムといった、本来「言語」にとって「外的」であるはずの要因によって、左右されるものであるか、ということを示す試みでもある。本書では特に、フランス植民地時代から一九七五年の社会主義革命までの、約八十年間を考察の対象として設定し、この問いに対する答えを探っていきたい。この
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在日朝鮮人のメディア空間 GHQ占領期における新聞発行とそのダイナミズム
考古学一般本書は、これまで十分に光が当てられてこなかった在日朝鮮人メディアを掘り起こし、その歴史を叙述しようとするものである。いうなれば、もう一つの戦後メディア史を描こうとする試みである。それは、戦後日本のメディア空間を構築してきた主体が日本人のみであったかのようなイメージを解体させ、本来的にあったはずの重層性や多層性の一断面を切開し、戦後日本をめぐる歴史の複数性(histories)を浮き彫りにするものとなろう。こうした観点から進められる在日朝鮮人メディアの史的研究は、過去と現在から発せられる在日朝鮮人
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さがしもの
児童書パパと遊びたい あるくんは何度もパパに声をかけますが、忙しくて時間のないパパはいつも断ってしまいます。そんな中あるくんは、あるものを探しに家を出ます。急にいなくなったあるくんをパパとママは必死で探します。あるくんは何を探していたのでしょうか...。心温まる親子愛のお話です。【目次】
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じーー
児童書「こらぁ膝立てない」ご飯中に、女の子はパパに注意されますが、そんなパパを じーー っと黙って見ます。パパも じーー っと見返します。その攻防が続きますが、なぜパパが黙って見続けるのか、女の子の妄想が始まります。はたしてパパが見続けた理由は、、、【目次】
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ジェンネの街角で人びとの語りを聞く マリの古都の過去と現在
文化人類学わたしは、二〇〇七年から二〇一〇年はじめにかけて計二年、ジェンネに暮らして人類学の現地調査をおこなった。研究のおもなテーマは、多民族が生きる都市ジェンネで、人びとがどのようにそれぞれの民族性を再生産したり、生業の住みわけをおこなったり、民族内・多民族間の紐帯を形成してきたのか/いるのか、である。本書では、そうした調査のなかでわたしが見聞きしたことと、町の歴史や日々の生活について町の人が聞かせてくれた語りを紹介していく。ジェンネのことばで、おしゃべりや語りのことを「ワンダス」という。きょうの天気に
