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国民語が「つくられる」とき ラオスの言語ナショナリズムとタイ語
社会問題以上を踏まえた上で、本書では、ラーオ語がラオスの国民語としていかにして「つくられて」きたのか、タイ語との関係に注目しつつ明らかにしていきたい。これはまた、一つの「言語」を「つくる」ということが、いかに政治や社会・経済状況、ナショナリズムといった、本来「言語」にとって「外的」であるはずの要因によって、左右されるものであるか、ということを示す試みでもある。本書では特に、フランス植民地時代から一九七五年の社会主義革命までの、約八十年間を考察の対象として設定し、この問いに対する答えを探っていきたい。この
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在日朝鮮人のメディア空間 GHQ占領期における新聞発行とそのダイナミズム
考古学一般本書は、これまで十分に光が当てられてこなかった在日朝鮮人メディアを掘り起こし、その歴史を叙述しようとするものである。いうなれば、もう一つの戦後メディア史を描こうとする試みである。それは、戦後日本のメディア空間を構築してきた主体が日本人のみであったかのようなイメージを解体させ、本来的にあったはずの重層性や多層性の一断面を切開し、戦後日本をめぐる歴史の複数性(histories)を浮き彫りにするものとなろう。こうした観点から進められる在日朝鮮人メディアの史的研究は、過去と現在から発せられる在日朝鮮人
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さがしもの
児童書パパと遊びたい あるくんは何度もパパに声をかけますが、忙しくて時間のないパパはいつも断ってしまいます。そんな中あるくんは、あるものを探しに家を出ます。急にいなくなったあるくんをパパとママは必死で探します。あるくんは何を探していたのでしょうか...。心温まる親子愛のお話です。【目次】
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じーー
児童書「こらぁ膝立てない」ご飯中に、女の子はパパに注意されますが、そんなパパを じーー っと黙って見ます。パパも じーー っと見返します。その攻防が続きますが、なぜパパが黙って見続けるのか、女の子の妄想が始まります。はたしてパパが見続けた理由は、、、【目次】
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ジェンネの街角で人びとの語りを聞く マリの古都の過去と現在
文化人類学わたしは、二〇〇七年から二〇一〇年はじめにかけて計二年、ジェンネに暮らして人類学の現地調査をおこなった。研究のおもなテーマは、多民族が生きる都市ジェンネで、人びとがどのようにそれぞれの民族性を再生産したり、生業の住みわけをおこなったり、民族内・多民族間の紐帯を形成してきたのか/いるのか、である。本書では、そうした調査のなかでわたしが見聞きしたことと、町の歴史や日々の生活について町の人が聞かせてくれた語りを紹介していく。ジェンネのことばで、おしゃべりや語りのことを「ワンダス」という。きょうの天気に
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自然保護をめぐる文化の政治 ブータン牧畜民の生活・信仰・環境政策
文化人類学本書は、ブータン政府の環境主義はブータンの仏教思想や伝統的慣習に根付いてもともとあったとする見方や、「賢明で慈悲深い国王と政府」と「従順な国民」との関係からのみ単線的にブータン社会を理解するやり方に絡めとられることなく、ブータンの環境主義と農村社会の暮らしとを、具体的な政策の変遷や長期的なフィールド調査のデータから捉えなおしていこうとするものだ。そのために、本書は二部から構成される。まず第Ⅰ部では、政府の森林政策の変遷および環境政策における語り、国際社会へ向けた王族の声明文、仏教思想の位置づけ、
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社員力は「文化能力」 台湾人幹部が語る日系企業の人材育成
政治日系ものづくり企業のなかで、日本人との「異文化協働体験」を通じて、いかに台湾人マネジャーが、日系ものづくり企業内部で重要となる諸要素を獲得し、新たな価値の内面化を進行させていくのか。そして、日系企業内部での日本人との「異文化協働体験」の過程で、いかにして日本人駐在員からの信頼を獲得していくのか、キーワードとして「文化能力」を用いながら、その動的な側面に焦点を絞りながら、現地人中核マネジャーをみていこうと思う。(本文より抜粋)【目次】はじめに 1 日系企業の進まない「現地化」 2 本書の主眼
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清朝の蒙古旗人 その実像と帝国統治における役割
考古学一般本書の目的は、蒙古旗人の「モンゴル」としての特徴がいかなる点に見られるのか、また清朝がその特徴をいかに認識し、帝国統治において蒙古旗人をどのように活用したのかを明らかにすることにある。本書では、清朝の勃興・成立期である一七世紀前半から、清朝が最盛期をむかえる一八世紀後半までの時期を考察の対象とする。一九世紀の蒙古旗人に関してはこれまで本格的な研究が行われたことがなく、筆者自身もまだ検討が及んでいない。そもそも一九世紀に関しては八旗研究そのものが深化しておらず、支配集団としての八旗・旗人は、清朝の
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スターリン期ウズベキスタンのジェンダー 女性の覆いと差異化の政治
文化人類学本書では、中央アジア・ウズベキスタンの「女性解放」をめぐる政治を、第二次世界大戦前のスターリン期に焦点をあてて検討する。「脱植民地化」から「連邦の統合」に向かうこの時代における、日常生活が営まれる街区(マハッラ)という場での、パランジに象徴される現地の「後れた」慣習へのソヴィエト政権の介入の実践に注目し、ソ連の国家成員として相応しいソヴィエト市民と「他者」がウズベキスタンでどのように創出されたのかについて、本書は明らかにする。ここで結論をやや先取りしながら述べると、一九二七年に「フジュム(攻勢)
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葬儀の植民地社会史 帝国日本と台湾の〈近代〉
文化/民俗本書のテーマとして取り上げたのは、「植民地期の葬儀の変容」である。どの時代や地域においても葬儀は、その社会の価値体系が集約された儀礼であり、日常の暮らしのなかで人びとが重視し、その形式を維持継承しようとするものである。漢族の地方文化圏として、すでに一つの成熟期を迎えつつあった清末台湾漢族社会においても、それは伝統的価値体系を端的に示す事象だった。しかし一八九五年から開始された日本の台湾統治は、まさに「近代」と表裏一体であり、「近代化」の名のもとに現地社会ではさまざまな伝統的価値観が否定されていっ
