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清朝の蒙古旗人 その実像と帝国統治における役割
考古学一般本書の目的は、蒙古旗人の「モンゴル」としての特徴がいかなる点に見られるのか、また清朝がその特徴をいかに認識し、帝国統治において蒙古旗人をどのように活用したのかを明らかにすることにある。本書では、清朝の勃興・成立期である一七世紀前半から、清朝が最盛期をむかえる一八世紀後半までの時期を考察の対象とする。一九世紀の蒙古旗人に関してはこれまで本格的な研究が行われたことがなく、筆者自身もまだ検討が及んでいない。そもそも一九世紀に関しては八旗研究そのものが深化しておらず、支配集団としての八旗・旗人は、清朝の
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スターリン期ウズベキスタンのジェンダー 女性の覆いと差異化の政治
文化人類学本書では、中央アジア・ウズベキスタンの「女性解放」をめぐる政治を、第二次世界大戦前のスターリン期に焦点をあてて検討する。「脱植民地化」から「連邦の統合」に向かうこの時代における、日常生活が営まれる街区(マハッラ)という場での、パランジに象徴される現地の「後れた」慣習へのソヴィエト政権の介入の実践に注目し、ソ連の国家成員として相応しいソヴィエト市民と「他者」がウズベキスタンでどのように創出されたのかについて、本書は明らかにする。ここで結論をやや先取りしながら述べると、一九二七年に「フジュム(攻勢)
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葬儀の植民地社会史 帝国日本と台湾の〈近代〉
文化/民俗本書のテーマとして取り上げたのは、「植民地期の葬儀の変容」である。どの時代や地域においても葬儀は、その社会の価値体系が集約された儀礼であり、日常の暮らしのなかで人びとが重視し、その形式を維持継承しようとするものである。漢族の地方文化圏として、すでに一つの成熟期を迎えつつあった清末台湾漢族社会においても、それは伝統的価値体系を端的に示す事象だった。しかし一八九五年から開始された日本の台湾統治は、まさに「近代」と表裏一体であり、「近代化」の名のもとに現地社会ではさまざまな伝統的価値観が否定されていっ
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たけしまに暮らした日本人たち 韓国欝陵島の近代史
歴史一般このように、日本人(とくに山陰地域の人々)と歴史的に関係深い沿革を辿ることのできる欝陵島であるが、存外その近現代における史的展開については、研究の状況が著しいとは言えない。もっとも、欝陵島の歴史研究には、ある一定の蓄積があることも事実である。これは欝陵島が明治時代以前に、断続的な経済活動などを通じて、山陰地方の人々によく知られた存在であったこと、また、韓国では欝陵島の属島として竹島が位置づけられており、竹島領有権問題に付随する形で、欝陵島の歴史研究が行われてきたからである。しかし、こと植民地朝鮮
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チベット人の民族意識と仏教 その歴史と現在
宗教/仏教チベット問題は、二一世紀に残る大きな課題の一つである。これらは、よく漢民族とチベット民族のあいだの民族問題とされる。そう考える人々にとっては、冒頭のような光景は信じがたいかもしれない。しかし、それは紛れもなく現実である。そしてこの光景はチベット問題を単なる民族問題とみるべきではないことを如実に物語っている。では、このチベット問題を我々はどのようにみるべきなのであろうか? 本著ではこの問題について、民族意識と仏教をキーワードとして考えていきたい。具体的には、まずチベットが「近代の衝撃」を受けた結果
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中国・ミャンマー国境地域の仏教実践 徳宏タイ族の上座仏教と地域社会
文化人類学本書の構成は、以下のとおりである。まず第一節では、徳宏という地域と、そこに居住する徳宏タイ族の特徴、そして調査村の概略について述べる。第二節では、徳宏における上座仏教の特徴について考察する。特に出家者が少数にとどまる状況での仏教実践について、筆者が定着調査を行った徳宏州瑞麗市T L村の仏教儀礼の場と担い手に注目して述べる。第三節では、徳宏の仏教実践において重要な役割を果たす在家の誦経専門家ホールー︵ho lu︶による誦経実践の変容と継続に注目し、徳宏の在家信徒にとっての「仏教」のあり方に迫るとと
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東南アジア年代記の世界 黒タイの『クアム・トー・ムオン』
文化人類学本書で取り扱うのは、この『クアム・トー・ムオン』である。これには、天地開闢に始まり、洪水神話、天からの始祖降臨、故地ムオン・ロの開拓、各地を平定しての領土拡大、その後の歴代首領の事績と歴史的事件の数々が記されている。多くが二〇世紀の写本なので、語りの終点はしばしばフランス植民地期である。『クアム・トー・ムオン』は直訳すれば、「ムオン(くに)を語る話」である。その記述内容を、本書で分析することになるが、その際次の点にも注目したい。『クアム・トー・ムオン』が、黒タイ村落社会における信仰や日常生活と、
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はかりとものさしのベトナム史 植民統治と伝統文化の共存
文化人類学度量衡は制度であり、それは王朝や政府が国家政策として行うものである。しかし一方で、それを受容し、実行していくのはその社会を構成する個々人である。植民地時代という特殊な時代においては、特に宗主国主導の政策、制度の受容には複雑な力関係や思惑が絡み合い、軋轢や葛藤が生まれる。まさにその過程においてこそ、その社会の個性を垣間見ることが出来るといえよう。本書は、度量衡という具体的な事例をもとに、国家から民間レベルの、四〇年という長期的時系列変化を追いながらベトナム社会の個性に迫ろうという試みでもある。本書
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バンコクの高床式住宅 住宅に刻まれた歴史と環境
文化/民俗しかし、プラナコンでは表通りより路地裏の方にこそ多様な住宅建築がある。表通りには、ショップハウスのような地面に直接、床を張った建築が多いのに対して、路地裏には、伝統的な高床式住宅であるタイ住宅(Ruean Thai, Ban Song Thai)や、床高六〇センチメートルから三メートルに至る多様な床高を持った雑多な木造の住宅が現存している。いずれも高床式住宅ではあるが、それにしてもこの床高の多様性はいかなる背景のもとに生み出されたのだろうか。本書では伝統的なタイ住宅から多様な床高を持つ木造住宅へ
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ビルマ古典歌謡の旋律を求めて 書承と口承から創作へ
文化/民俗従来、ビルマ古典歌謡の研究は、音楽学の面からは特に音階構造の分析に重点が置かれ、また、文学としての研究においては歌詞の内容の解釈が中心であった。つまり、創作の結果としての作品分析のみが為されてきて、それらの作品がどのような過程を経て創作されたのかについては注目されてこなかった。しかし、結果としての作品ではなく、それらの作品を作り出していくシステムに、筆者はより関心を覚えた。本書では、以上の筆者の問題関心に基づき、ビルマ古典歌謡における創作と伝承の方法と両者の関係について、以下のような構成で考えて