教訓の源は、結果としての敗戦よりも発端にある
12月8日が毎年やってくる。私たちは戦争に負けて焼け野原に立たされた8月15日を忘れることはない。しかし、奇襲して戦争の火蓋を切った日はしばしば疎かにしている。多くの人命が失われ、若い命が無残にも見殺しにされた。教訓の源は、結果としての敗戦よりも発端にあると言うべきではないか。
私たちは今を生きている。更にいえば必死に生きているのだ。今やっていること、懸命にやっていること、きっと今、あなたしか出来ない偉大なるチャレンジであるはずのもの、それは何であれどこかで潰えてしまう儚さを背負わされているもののような気がする。木でつくる軍艦と同じような運命ではないか。
いかに見栄えは立派でもいつか藻屑と消え去り、跡形もなく失われてしまう。だがそのイメージは払拭されてしまうわけではなく、無惨にもいつまでもその人の胸の内に巣くうことになる。おのれの胸の内、自分しか見えない蜃気楼として。
誰にも見えない……。その砂浜に立ち、かつて組まれた楼閣のごとき軍艦の幻を見上げることのむなしさが私たちには残される。諦めてしまいそうな人のたどった道。ただこれを捨て去るままにしてなるものか。たとえ千分の一、万分の一でも可視させる働きかけがあってしかるべきだろう。これに殉じることこそ人としての矜持というものではないだろうか。
芦屋町のアマチュアカメラマンが撮った写真だという。遠くには観光バスも停まっている。訪れる人々の姿も軍艦も遠い夢の彼方に消え去ってしまった。ここに木でつくった軍艦があったこと、そして木で軍艦をつくった男たちがいたことをどう語り伝えていけばいいのだろうか。
写真提供:芦屋町歴史民俗資料館
(「私たちは今を生きている」より)
書籍情報
木で軍艦をつくった男
近藤司/萩野正昭
「誰や!こんなことやったの」
黒澤明がそういって呼びつけた美術のコンちゃん。
できるのか、木でつくる鉄の軍艦!?
映画『トラ・トラ・トラ!』をめぐり、木で軍艦をつくる虚構に情熱を燃やした男、近藤司が語る実録ーー
映画『トラ・トラ・トラ!』は、クランクインまもなく、黒澤明監督の解任という事態となり、初期方針を変更しながら完成、公開されることになった。この映画に最後まで一貫して従事した美術チーフの近藤司は、福岡県遠賀郡芦屋町海岸に建造された二隻の軍艦、戦艦長門と空母赤城を担当した。
映画に参加した多くのスタッフが既にこの世を去っている。黒澤明、村木与四郎美術監督しかり、脚本の小國英雄、菊島隆三ももういない。わずかに生き残る証人の一人だった近藤司が語る事実の一片から、全てを知る手掛かりがひも解かれる。
*電子版は、貴重な写真・資料へのリンクが満載!
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過去のイベント情報
ボイジャーでは、2017年12月にジオラマ作家・宮﨑日出雄さん( ブログ )が製作された「赤城ジオラマ」の展示イベントを開催いたしました。また12月8日(金)には製作者自身がその製作ストーリーや映画『トラ・トラ・トラ!』の魅力を熱く語るトークイベントも行われました。
このジオラマは、映画『トラ!トラ!トラ!』の撮影のために建造された空母『赤城』を参考に製作されました。
1969年、福岡県の芦屋町海岸に巨大な「木でつくられた軍艦」が出現し、実際の映画の冒頭をはじめ、いくつかのシーンが撮影されました。残された貴重な資料をもとに、このジオラマは再現することができました。