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新着作品
原爆と俳句
日本史一般原爆という人類の課題に対して、俳句がどのように向き合ってきたのか。原爆投下直後のヒロシマやナガサキで詠まれた俳句があった。俳句で原爆を記録したひとたち、今も火種を絶やさずつなぐひとたちを長年の取材を通して綴る。※本書は、大月書店刊『原爆と俳句』の電子書籍版です。【目次】はじめに 生と死を詠う世界第1章 原爆俳句までの軌跡第2章 第二芸術論の衝撃第3章 ヒロシマを詠む第4章 ナガサキを詠む第5章 東京から原水爆を詠む第6章 表現者たちの格闘第7章 沖縄と福島第8章 原爆と川柳おわりに
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新着作品
深化する歴史学 史資料からよみとく新たな歴史像
歴史一般新発見された史資料や、異なる読み方が示されるようになった史料などに着目し、新たな歴史像を示す39のトピック。AIを利用した文字読解など、史資料をめぐる近年の動向に注目した7つのコラム。深化しつづける歴史研究の現在を示す。※本書は大月書店刊『深化する歴史学――史資料からよみとく新たな歴史像』の電子書籍版です。【目次】第1章 古代第2章 中世第3章 近世第4章 近代第5章 現代
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インドにおける代理出産の文化論 出産の商品化のゆくえ
文化人類学こうした新たな生殖医療は、インドにおいてどのような歴史的、社会的背景のもと広がっているのだろうか。これに関しては、これまで富める先進国と貧しい途上国という二分法の中で生み出される新植民地主義的な搾取の構造や、生命や身体の利用という人間の尊厳の侵犯という倫理的問題が指摘されてきた。これらの指摘は、代理出産を理解するうえで言うまでもなく最も重要で、かつ、基本的な出発点である。だが、そればかりでは、「良いか、悪いか」という二元論的な袋小路に陥る可能性がある。本書では、代理出産を現代インドにおいて生起す
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海を渡った騎馬文化 馬具からみた古代東北アジア
考古学一般もし仮に、朝鮮半島に「騎馬民族征服王朝」が存在したのであれば、当然、日本列島の「騎馬民族説」の問題にも直接的な影響を与えるにもかかわらず、日本国内においてこの韓国の「騎馬民族説」を真正面から取り扱った研究は、皆無であったといってよい。そこには日本史、朝鮮史(韓国史)、あるいは日本考古学、朝鮮考古学(韓国考古学)というそれぞれの枠組みを越えて議論することに対する躊ちゅう躇ちょや遠慮があったのかもしれない。しかし、あとで詳しくみるように「騎馬文化が来た」という点では、朝鮮半島もまた日本列島と同じであ
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演技と宣伝のなかで 上海の大衆運動と消えゆく都市中間層
考古学一般本書が大衆運動とそれに伴う社会変容=階層再編を分析する際に最も重視するのは、「演技」という観点である。……そうした日常生活のなかの演技が、一九五〇年代以降の中国では、党・政府やそれらに忠実な機関の宣伝によって強く方向づけられ、さらに大衆運動によって厳しく統御され、高いリスクや緊張を伴うものになったといえよう。そして、党・政府が望むように演技をした人びとの言動が、メディアや集会において宣伝されて、さらにそれに倣ってより多くの人びとが演技をする、という繰り返しのなかで、人びとが大衆運動に動員されてい
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カザフの子育て 草原と都市のイスラーム文化復興を生きる
文化人類学地域社会に生きる人々の生活に根ざした視点から、中央アジアのムスリムたちの文化復興をとらえることを本書では目指す。政策レベルでの変化をふまえつつ、中央アジアの人々の生活世界にわけいることによって、ポスト・ソビエト時代の文化復興についての理解をより深めることができるといえよう。その生活世界とは、イスラーム受容や社会主義経験のあり方という歴史的経緯によって、幾重にも入り組んだ世界である。中央アジアに暮らす人々のなかでもカザフ人は、モスク中心でないイスラーム実践を繰り広げてきたことが知られている。カザフ
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境界の考古学 対馬を掘ればアジアが見える
考古学一般本書のタイトル「境界の考古学」には「考古学の境界」という意味をも含ませている。本来の意味は、もちろん地理的「境界」に関するものである。対馬は、日本列島と朝鮮半島の「境界」であり、また広くは、ユーラシア・アジアの大陸世界と環太平洋の海域世界との「境界」である。ほかにも目的によって大小いくつもの地理的「境界」を設定できようが、ただし、必ずしもそれらは文化的内容を意味するものでもない──たとえば日本文化、朝鮮文化など──ことは注意しておく必要がある。もう一つの意味は、「考古学」という学問の「境界」に関
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在日朝鮮人のメディア空間 GHQ占領期における新聞発行とそのダイナミズム
考古学一般本書は、これまで十分に光が当てられてこなかった在日朝鮮人メディアを掘り起こし、その歴史を叙述しようとするものである。いうなれば、もう一つの戦後メディア史を描こうとする試みである。それは、戦後日本のメディア空間を構築してきた主体が日本人のみであったかのようなイメージを解体させ、本来的にあったはずの重層性や多層性の一断面を切開し、戦後日本をめぐる歴史の複数性(histories)を浮き彫りにするものとなろう。こうした観点から進められる在日朝鮮人メディアの史的研究は、過去と現在から発せられる在日朝鮮人
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ジェンネの街角で人びとの語りを聞く マリの古都の過去と現在
文化人類学わたしは、二〇〇七年から二〇一〇年はじめにかけて計二年、ジェンネに暮らして人類学の現地調査をおこなった。研究のおもなテーマは、多民族が生きる都市ジェンネで、人びとがどのようにそれぞれの民族性を再生産したり、生業の住みわけをおこなったり、民族内・多民族間の紐帯を形成してきたのか/いるのか、である。本書では、そうした調査のなかでわたしが見聞きしたことと、町の歴史や日々の生活について町の人が聞かせてくれた語りを紹介していく。ジェンネのことばで、おしゃべりや語りのことを「ワンダス」という。きょうの天気に
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自然保護をめぐる文化の政治 ブータン牧畜民の生活・信仰・環境政策
文化人類学本書は、ブータン政府の環境主義はブータンの仏教思想や伝統的慣習に根付いてもともとあったとする見方や、「賢明で慈悲深い国王と政府」と「従順な国民」との関係からのみ単線的にブータン社会を理解するやり方に絡めとられることなく、ブータンの環境主義と農村社会の暮らしとを、具体的な政策の変遷や長期的なフィールド調査のデータから捉えなおしていこうとするものだ。そのために、本書は二部から構成される。まず第Ⅰ部では、政府の森林政策の変遷および環境政策における語り、国際社会へ向けた王族の声明文、仏教思想の位置づけ、