小説道場を読む
中島梓(=栗本薫[1])の著作に『小説道場[2]』という本があります。中学生の頃から創作を始め、デビュー前には、のちに商業出版されることとなった『真夜中の天使』(通称「まよてん」)、『カローンの蜘蛛』『元禄心中記』などを書き上げ、1時間に400字詰め原稿用紙で20枚以上のペースで執筆、生涯に500冊以上の作品を発表していた著者の小説作法は、多くの読者にとって興味深い本であると言えます。
小説の書き方の本は、これまでも数多く出版されています。有名どころでは、ディーン・R・クーンツ著『ベストセラー小説の書き方』、高橋源一郎著『一億三千万人のための小説教室』、オタク系では冲方丁『冲方式ストーリー創作塾』も見逃せません。
『小説道場』は、女性のための男性同性愛を扱った『JUNE』という雑誌の連載です。単に小説の書き方について解説しているだけでなく、強烈な個性を持った道場主と、情熱と青さとを抱えた門弟たち、そして門弟を厳しく審査する門番たちといった登場人物たちによる、それ自体が一つの読み物となってます。自分自身の殻に閉じこもってしまうために生き生きとした登場人物を描くことの出来なかった門弟が、突如開花して素晴らしい作品を書くことが出来たエピソードと、それに感動した道場主の寄せる言葉には、ともに感動させられます。講談社の児童文学賞を受賞し、角川書店からもベストセラーシリーズが出版されるようになった門弟の活躍、技術的には拙劣でも、きらりと光るものを裡に秘めた門弟への励まし、自らの表現をもとめて苦闘する弟子への暖かい応援のコメントなど、小説マニュアルであると同時に、道場主と門弟群像の織りなす物語でもあります。
大沢在昌著『小説講座 売れる作家の全技術』も受講生たちの作品を講師が批評し、指導する形式をとっていて、講師は客観的かつ冷静に技術指導やアドバイスをしています。それに対して『小説道場』の特徴は、道場主のジョークや愚痴など、時には小説指導においては夾雑物としか言いようのない内容もありながら、熱気に満ちた道場の雰囲気を忠実に再現されていることにあります。そして読者は中島梓という作家の肉声を聞き、その気持ちや人柄を体感できます。
もちろん、情熱や臨場感だけではありません。純粋に技術論、知識の体系として読んだ場合でも、『小説道場』は非常に有用な内容をもっています。たとえば、
“一人称は『ぼく』ないし『私』が見、体験するものしか、書けなくて、『私』が存在していないシーンは絶対に書いてはいけない、という重大な制約がある”
という指摘は、わかり切ったことのように思われながら、実際にはその罠に落ちる初心者が多いことが例示されています。
あるいは、
“猫のとけるところ、そしてラストの一行が決まった! これでいいの。これで許されるの。すごくきれいで鮮烈で異様なイメージ、これひとつで小説というものは存在しうるのだ”
などはたんに技術的な指摘だけにおさまりきらない、表現にとって肝心な部分を示しています。それもまた、きわめて強い感受性の持ち主である中島梓だからこそできることでしょう。この注釈それ自体が文学的であり、小説とはなにかを解説する言葉がそのまま小説になっているという、作者の力量と小説のなんたるかを同時に感じ取れる表現です。
そして最後に、この本が単に指南書としての文章読本に終わらないゆえんの一つとして、作者自身の創作観、信仰告白にも似た切実な思いの表明、小説を書くとは結局どういうことかという問いへの作者なりの答えが明らかにされています。「あとがき」には、男性同性愛を扱ったJUNEという特殊なジャンルに対する作者の思いが綴られ、作家栗本薫の創作の原点をそこで知ることにもなります。
この本を手に取った読者は、はじめはその奔放な語り口に困惑を覚えるかも知れません。けれど、この本が文章読本であり小説でありドキュメンタリーであること、笑いも涙も含めて作者の思いをすべて込めてあるということを知れば、『小説道場』がいかに独特かつユニークでそして魅力的な本であるかが、わかることでしょう。
- ^ このページをご覧の方には説明不要と思いますが、小説は栗本薫名義、評論・演劇・音楽などは中島梓名義で活動しています。
- ^ 雑誌『JUNE』で連載後、『小説道場』というタイトルで新書館より3巻まで刊行、その後4巻は出ないことになり、光風社出版から新たに『新版・小説道場』として刊行。その後長らく入手しにくい状況が続いていたが2016年、栗本薫 電子本シリーズで刊行再開!
小説道場関連の作品
著者:中島梓
数多くのベストセラーで知られる栗本薫が、中島梓の別名で雑誌JUNE誌上に連載した小説入門講座。やおい・BLとして知られる男性同性愛小説向けの内容ではあるが、夭折した天才作家が、創作の機微から具体的な技術までを余すところなく伝えた、創作を目指す者にとっての必読の書。
《ああ、もう、この世界は隠居の出る幕ではないわい》と思い、片隅に引きこもっていた道場主が、乞われてついに沈黙を破り、「明るく楽しいBL小説」が普通となったやおいの世界にもの申す「ご隠居編」。新しいBL小説がどれも同じで、人間の重い真実がこもっていないことを厳しく批判し、それを許容する読者や小説業界に慨嘆する道場主。一方で、うまく書けずにもがき苦しみ、自分自身に絶望しながら必死の思いで書いた「真実の小説」の素晴らしさ、恐ろしさを熱く語ります。道場主の出した課題に沿った内容の短編から、JUNE編集長に選ばれた作品も掲載します。
著者:中島梓
数多くのベストセラーで知られる栗本薫が、中島梓の別名で雑誌JUNE誌上に連載した小説講座第4巻。やおい・BLとして知られる男性同性愛小説向けの内容ではあるが、天才作家が創作の機微から具体的技術までを余すところなく伝える、創作を目指す者にとり必読の書第4巻。本書には小説道場開始から10年の時が流れた後に、変質していくやおいへの思いと自己の信念を吐露したマニフェスト「新・やおいゲリラ宣言」を収録。また、小説道場の掲載誌「JUNE」の編集長であった佐川俊彦氏の解説を付す。
4巻は第六十回から始まります。これまでと同様に幕を開けた小説道場でしたが、道場主の心の中に小説道場の役割は終わったのではないかという意識が芽生えます。そして第六十九回にて《先生は少々疲れている。》《そろそろ使命は終り、時代も変りつつあるのだろうか、という気がする。》と意味ありげな発言が発せられ、第七十回、第七十一回とその意義が語られ、その次の回が「最終回・あなたへの手紙」となりました。実は本書の中では10年の歳月が経過しています。そして3巻で抱きはじめた道場主の葛藤は「新・やおいゲリラ宣言」として爆発します。この道場主の葛藤も含め、リアルと地続きの魅力あるドラマ『小説道場』ここでいったん完結します。
著者:中島梓
数多くのベストセラーで知られる栗本薫が、中島梓の別名で雑誌JUNE誌上に連載した小説講座第3巻。やおい・BLとして知られる男性同性愛小説向けの内容ではあるが、天才作家が創作の機微から具体的技術までを余すところなく伝えた、創作を目指す者にとり必読の書。この巻では投稿者の成長と、また人気作家として活躍する道場出身者の活躍ぶりも描かれその点でも興趣尽きない内容となっている。
2巻にて、単行本デビューした作家が誕生、そして新規門弟希望者の増加はとどまるところを知りません。1巻での悪ノリは完全に息を潜め、その場で道場主が指導してくれるような臨場感は健在ながら、本当の意味での小説道場になりつつあります。そしてなんと門弟から「児童文学」デビューも。プロ作家養成所と考えたことはないと言いながら小説道場軍団怒涛の進撃。その一方で、世の中の「美少年愛小説」を取り巻く状況に変化が現れます。3巻での指導にはその影響は現れませんが、あとがきにて、著者は葛藤を抱きはじめます。
著者:中島梓
数多くのベストセラーで知られる栗本薫が、中島梓の別名で雑誌JUNE誌上に連載した小説講座第2巻。やおい・BLとして知られる男性同性愛小説向けの内容ではあるが、天才作家が創作の機微から具体的技術までを余すところなく伝えた、創作を目指す者にとり必読の書。
引き続き道場主のノリはいいものの、真剣な門弟の投稿が増えるとともに、道場主の指導も真剣なものがふえ、1巻にあった悪ノリは控えめになっています。センスがありながら「JUNEもの」ではない門弟からの投稿に《私は『SFマガジン』からデビューできれば、と希望する。もし君がイヤでなければ、私の「直弟子」になる気はないか。むろん小説道場の門弟は門弟であるが「特待生」として。》という特別指導の心意気。そして門弟から単行本デビュー作家が誕生します。
著者:中島梓
数多くのベストセラーで知られる栗本薫が、中島梓の別名で雑誌JUNE誌上に連載した小説入門講座。やおい・BLとして知られる男性同性愛小説向けの内容ではあるが、夭折した天才作家が、創作の機微から具体的な技術までを余すところなく伝えた、創作を目指す者にとっての必読の書。
《「より多く、より心にかなう美少年愛小説を読むために」より多くの美少年愛小説作家を育てなくてはならぬ、ということを(ほとんど冗談で)考えついたのでありました。》との軽いノリで始まったこの企画、道場主(=中島梓)ノリノリです。どれだけ応募がくるかわからないという心配も杞憂で、多数の応募があり、上手な作品もあれば、妙ちくりんな作品もあり、時に厳しい指導、時に悶絶と、まるで自分のすぐそばで道場主が語っているような錯覚に陥ります。悶絶ポイントとしては、例えば「おすもうJUNE」など。ほとんど冗談ではじまった企画と言いながら、そこは小説道場、文章テクニック指導もあります。《自分の都合で安直に説明的なセリフを吐かせちゃいけません》とか、視点についてのポイントなど、小説家を目指す人でなくても、普段の文章にも応用できるテクニックは必見です。なお、最初に掲載されたのが「JUNE」という雑誌なので、おこさま向きではない表現もありますのでご注意ください。