「葬式ごっこ」八年後の証言
教育問題 1408円販売終了
作品説明
1986年に東京中野区で起きた「中野富士見中学いじめ自殺事件」は「葬式ごっこ」という呼称と共にいじめの残酷さを物語る例として語り継がれている。著書は、いじめ被害者の手記、遺書などが多く紹介される。いじめの場に居合わせ、いじめに加わった少年少女の体験録は他に例がない。この著書を通していじめを産む教室、学校の素顔を知る事ができる。巻頭「鹿川君の見た風景・死への三十七時間の彷徨」と題した写真家五味彬のフォト・ストリー、巻末に同年3月facebookに投稿した「いじめを追って34年」全文を掲載。
【目次】
はじめに
鹿川事件判決(要旨) (平成六年五月二〇日言渡)
視角一二〇度の範囲に少年の居場所はなかった。
「八年間は何だったのか」控訴審判決まで
「シシ君は目で助けを求めていた」
「いじめが始まると、みんな『やれ、やれ』『もっといけ』と盛り上がった」
「いじめを下手に止めに入ったら、次に自分がやられる。 汚ねえようだが、生きる知恵だわ」
「自分が弱い人間であることを知られるのが、死ぬほどいやだった」
「シシが死んだとき、だれかが『みんなだよ、 みんなでやっちまったんだ』と言った。
「私もあのころ、なーんにも考えていなかった」
「おれって、情がねえのかなあ」
「あの時代がステップになった」
「私がおばさんになっても、シシ君は中学生のままなのよね」
「一人でがんばっても、どうかなるって状態じゃなかった」
「親同士、お互いによく知らないんですよ」
「あれを機に、私も人生観が変わった」
「学校が安心して子どもを預けられる場所じゃなかった」
「おれたちが死なせたんだ」同級生三人の座談会
他
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